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たまたまPCの前に座ったのでブログを更新しようと思い。。
してみようとヽ(。・ω・。)ノ
今日のピックアップニュースは・・・・・
<全日本柔道>井上、準々決勝で敗れる 決勝は鈴木vs石井
井上康生氏1本負けましたね~d(∀`d*)
惜しかった( ノД`)今後の進退が気になるところです、
決勝は鈴木vs石井でたった今石井が優勝したみたいですオメデトォー!( o^∇^)/"○┼<~♪~パフ!パフ!パフ!!
体重無差別で柔道の日本一を争う全日本選手権は29日、北京五輪男子100キロ超級の日本代表最終選考会を兼ねて、東京・日本武道館で行われた。
00年シドニー五輪男子100キロ級の金メダリスト、井上康生(綜合警備保障)は、準々決勝で高井洋平(旭化成)に合わせ技で敗れた。終了間際の返し技で「技あり」を取られ、そのまま抑え込まれた。五輪代表は絶望的となり、五輪王者復帰の夢は断たれた。
高井のほか、連続優勝を狙う鈴木桂治(平成管財)、2年ぶりの優勝がかかる石井慧(国士大)、世界王者の棟田康幸(警視庁)が4強に進出。準決勝で鈴木は高井に一本勝ちして6年連続の決勝に進んだ。石井-棟田の対戦は、両者とも技によるポイントがなかったが、棟田に注意を与えられたため、石井が勝った。決勝は3年連続で、鈴木-石井の顔合わせとなった。
北京五輪の100キロ超級代表は大会終了後、全日本柔道連盟強化委員会で決まる。
(●`3´)・:∴・:∴・:∴・:∴best of judo byYou Tube
柔道が大好きな方・ランキング・拍手スイッチオン(・∀・)
今日の続きはこちらへ・・・↓
今日は4月29日の出来事・誕生日をリストアップしてみました。
1859年~2007年の出来事ヽ(´∀`*)ノ
1859年 - サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、オーストリア・ハンガリー帝国の庇護下にある北部イタリアへ侵攻開始(イタリア統一戦争が勃発)。
1891年 - 丸亀練兵場で、二宮忠八が製作したプロペラ式模型飛行機(玉虫型飛行機)が飛行に成功。
1927年 - 嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗シリーズ第一作『角兵衛獅子』が封切り。
1932年 - 上海の天長節祝賀会場で朝鮮人尹奉吉が爆弾を投げつけ白川義則軍司令官と重光葵公使らが重傷。
1932年 - 東京市内4箇所にダイヤル式公衆電話を設置。
1942年 - 近衛秀麿の新交響楽団の運営に日本放送協会が参画、日本交響楽団に改称(NHK交響楽団の前身)。
1945年 - アドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンが結婚。
1949年 - 国際オリンピック委員会(IOC)が日本とドイツの五輪復帰を承認。
1951年 - 沖縄社会大衆党など沖縄日本復帰促進期成会を結成。
1952年 - 国際基督教大学(ICU)が開学。
1954年 - 中華人民共和国・インド、チベット・インドの間で通商交通協定に調印、平和五原則を堤
唱。
1956年 - 日ソ漁業交渉開始。
1973年 - ツクダ(現在のパルボックス)がボードゲーム「オセロ」を発売。
1977年 - 山下泰裕が全日本柔道選手権大会で史上最年少の19歳で優勝。
1978年 - 植村直己が単身犬ぞりで北極点に到達。
1985年 - シンボリルドルフが天皇賞で優勝、シンザン以来20年ぶりの五冠馬に。
1992年 - ロス暴動
1997年 - 「SLばんえつ物語号」運転開始。
2000年 - 『アメリカン・ビューティー』が日本で劇場公開。
2006年 - 富山ライトレール開業。
2006年 - 生口島道路の開通に伴い、本州と四国とを結ぶしまなみ海道が一本に繋がる。
2007年 - 祝日名がみどりの日から昭和の日になる。
1854年~2003年の誕生日★オメデ大砲!☆(ノ^o^)♂ドド-ン‥‥…━━━━
1854年 - アンリ・ポアンカレ、数学者(+ 1912年)
1871年(明治4年3月10日) - 吉岡弥生、医師・東京女医学校(現在の東京女子医科大学)創立(+ 1959年)
1890年 - 湯浅八郎、生物学者(+ 1981年)
1893年 - ハロルド・ユーリー、物理化学者(+ 1981年)
1895年 - マルコム・サージェント、指揮者(+ 1967年)
1899年 - デューク・エリントン、ジャズのピアノ奏者(+ 1974年)
1901年 - 昭和天皇裕仁、日本の124代天皇(+ 1989年)
1901年 - 尾崎秀実、ゾルゲ事件に連座した朝日新聞記者(+ 1944年)
1907年 - 中原中也、詩人(+ 1937年)
1922年 - 岩崎英二郎、ドイツ語学者
1924年 - 安倍晋太郎、政治家(+ 1991年)
1929年 - 竹内昭夫、商法学者(+ 1996年)
1930年 - 横山まさみち、漫画家(+ 2003年)
1930年 - 岸田今日子、女優(+ 2006年)
1931年 - 高林陽一、映画監督
1932年 - 海野かつを、元俳優
1934年 - 宝田明、俳優
1935年 - 仰木彬、元プロ野球選手・監督(+ 2005年)
1936年 - 蓮實重彦、フランス文学者
1940年 - 原田泰治、画家
1940年 - ジョージ・アダムス、ジャズ奏者(+ 1992年)
1942年 - 江藤省三、元プロ野球選手
1950年 - 米原万里、ロシア語同時通訳、エッセイスト、ノンフィクション作家、小説家(+ 2006年)
1954年 - 小西克哉、翻訳家・テレビキャスター
1955年 - 田中裕子、女優
1955年 - ケイト・マルグルー、女優
1955年 - リチャード・エプカー、声優、俳優、音響監督、脚本家
1957年 - 田中寅彦、将棋棋士
1959年 - 水口昌彦、テレビプロデューサー
1961年 - 立木文彦、声優
1961年 - 田中豊雪、ベーシスト
1962年 - マキノ佐代子、女優
1965年 - 桜井伸一、野球選手
1968年 - 田澤修治、射撃選手
1969年 - 原元美紀、キャスター・声優
1970年 - アンドレ・アガシ、テニス選手
1971年 - 春名和昭、お笑い、DA-DA
1972年 - 島涼香、声優
1972年 - 渡辺徹、アナウンサー
1976年 - 河原木志穂、声優
1976年 - 千代大海龍二、大相撲力士
1976年- 二岡智宏、野球選手
1977年 - 一色紗英、女優
1978年 - 佐藤充、野球選手
1981年 - ジョージ・マッカートニー、サッカー選手
1982年 - 内海哲也、野球選手
1983年 - 白鳥百合子、グラビアアイドル
1983年 - 笠原秀幸、俳優
1985年 - 榎本亜弥子、ファッションモデル・女優
1985年 - 菊岡正展、関西ジャニーズJr.
1988年 - ユンナ、歌手
1988年 - 新井梨絵、タレント
1988年 - 田中大二郎、プロ野球選手
1988年 - 小山泰志、サッカー選手
1988年 - 持留新作、サッカー選手
1999年 - たま、貴志駅の猫の駅長
2003年 - バーバロ、競走馬
この中からリストアップします何個かあげてみますd(∀`d*)
みどりの日
1948年の祝日法施行以来、昭和天皇の誕生日である4月29日は、国民の祝日である「天皇誕生日」とされていた。その後1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御により、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日に改められることとなったが、ゴールデンウイークの一角を構成する祝日を廃止することによる国民生活への影響が懸念されたことから、4月29日を「みどりの日」と改めた上で祝日として存続させることとなった。
その後、2005年の祝日法改正により、2007年以降は「みどりの日」を5月4日に移動し、4月29日を「昭和の日」とすることとなった
「みどりの日」の名前の由来は、各界識者をメンバーとする小渕恵三官房長官(当時)の私的諮問機関(皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会)において、「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなんだ名がふさわしい」という主旨の意見が多数を占めたからであるとされている。他の意見には「科学の日」などがあったとされ、いずれにしても4月29日が休日となるゆえんとなった昭和天皇の、博識であった面にちなんだ名前となっている。
2007年以降、「みどりの日」には国公立公園の無料開放を行うほか、国民が自然に親しむための各種行事等を各地で実施することになっている。
また、この日には普段は青色で印刷される毎日新聞の題字が緑色になる。
2007年 - 祝日名がみどりの日から昭和の日になる。
1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御により、同年以降の4月29日はそれまでの天皇誕生日と
しては存続できなくなり、祝日法の天皇誕生日に係る項を改正する必要が生じた。当時から同日を「昭和記念日」など昭和に因んだ新祝日として存続させようという意見が出ていたが、左派の反対からそのような案は見送られ同年以降の4月29日は「みどりの日」という名称の祝日に改められた。
その後、「昭和の日」の実現を目指す団体等の運動に呼応・共鳴する推進派の国会議員により、2000年の第147回国会(参議院先議)、2002年の第154回国会(衆議院先議)においていずれも議員提出法律案として審議に付され、ともに先議の議院では可決したものの、国会会期満了・衆議院解散などにより後議の議院での可決に至らず廃案となった。2004年の第159回国会において、都合3度目となる改正法案提出(議員立法形式・衆議院先議)がなされ、継続審議を経て2005年の第162回国会で成立した。同改正法は2007年から施行され、同年以降の4月29日は「昭和の日」、従前の「みどりの日」は5月4日に移動した。なお、同改正法案にはこの二つの祝日設置のほかにも付随する改正(振替休日や国民の休日の重複を避けるための条文の変更等)が盛り込まれている。
国民の祝日に関する法律第1条には「国民の祝日」全般の制定の動機・趣旨が「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め」と規定されている。もし条文中の接続詞が「及び」であれば、反対派の人々にも全部の祝日を「祝う・感謝する」ことを強要するものとなり妥当性を欠くおそれがあるが、「又は」となっていることに着目するとこれはこれら三つの行動のうち一つ以上の国民的需要があれば祝日として制定可能、ということを示している。
「国民の祝日」という表現は個別の祝日すべてを含む「総称」であるが、本来は三つ設けて「国民の祝日」・「国民の感謝日」・「国民の記念日」、あるいは一つにするとしても法令での慣例に従い「国民の祝日等」としてもよかったものと考えられる。しかしながら、そもそも各祝日には次の第2条で個別の名称とその意義が規定されるため総称は一つのほうが国民にとっても簡素で良いと考えられたこと、また「等」付きでは美観を欠くことなどから、第1条での総称設定は筆頭の「国民の祝日」一つだけが代表として選ばれ、第1条の文末に「これを『国民の祝日』と名づける。」と念を押す表現で記載された。したがって総称である「国民の祝日」は「祝」の字が含まれてはいるが「祝わないが記念する」日も包含される間口の広いものであり、第2条における個別の定義文中に「祝う」の表現がない国民の祝日などは、祝意を示すことまでは法的に要請も強要もされていない。
第2条の個別規定を見ると、元日、成人の日、敬老の日のように祝意に反対する人がほとんどいないと考えられる「祝日」には定義文中に「祝う」の文言がある。対して異論を持つ人がいる可能性がある「祝日」については「記念する」という言葉が使用されている。今回追加されることとなった昭和の日については「祝う」だけでなく「感謝」も「記念」の文字も無い。「顧み、国の将来に思いをいたす」との表現で一つの方向への集中(讃美など)を避ける形が取られている。国会審議においても反対派議員による「昭和天皇への賛美・祝意の強制だ」との批判に対し提出議員は「記念する日である」との表現を多用していた。なお、近代の天皇誕生日で戦後も祝日(記念日)として残ったのは明治(文化の日=旧明治節)・昭和両天皇(昭和の日)の2帝の誕生日だけであり、大正天皇の誕生日(8月31日)は祝日(記念日)とはなっていない。
「記念する」という言葉をどのような意味に解釈するかは分かれるところであるが、「昭和天皇を否定的に考える」「戦前の日本を反省する」などの反対集会を4月29日に行うことも、ある意味では「記(しる)し念ずる」ということに解釈することは不可能ではない。国民の間に異論のある事象を「祝うための国民の祝日」として制定すれば祝意の強要となり祝日法第1条に抵触する可能性があるが、記念という言葉が肯定的な場面でも否定的な場面でも使用できることを前提とすれば、異論のある事象であっても「祝わないが記念(回顧・追想・反省)をするための国民の祝日」として加えることは、その意味において第1条に抵触するとは言えないと考えられる。
なお、この節中の記載の趣旨は、「祝日法での国民の祝日という表記は本当は三つの意味を代表したものにすぎず、『祝わないが記念する日』の祝日化は祝日法に違反しない」という制定方法についての一般論であり、「昭和」と名の付く「祝日」の存在が妥当かどうかとは別問題である。
「昭和の日」として初めて迎えた2007年4月29日、東京都八王子市陵南公園では石原慎太郎・東京都知事が会長を務める「昭和の日をお祝いする実行委員会」によって記念式典が開かれ[1]、一方で制定に反対する人々によって抗議デモが行われた。
今日も一日良い日になりますように~ゞ(´∀`●)
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